扉を開けると本の向こう側の世界が広がっていた。

猫町倶楽部とは、参加者が毎回課題図書を読了して集まり、
それぞれの気付きをアウトプットすることで学びを深め合う読書会です。

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  • 【春樹風?! 開催レポート】「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」【関西文学サロン月曜会第14回】

関西文学サロン月曜会[文学]

  • 2016年4月9日(土) 読書会17:00~19:00 懇親会19:00~20:45
  • 【春樹風?! 開催レポート】「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」【関西文学サロン月曜会第14回】



 叡山電鉄はきわめて緩慢な速度で一乗寺駅へ向かっていた。おそらくその叡山電鉄は一乗寺に向かって進んでいたのだろうと私は思う。しかし正確なところはわからない。あるいは出町柳に向かっていたのかもしれないし、鞍馬までいって京都精華大学前まで折り返してきたのかもしれない。いずれにしても、その書店までの道のりは永遠に続くかに思えた。きっとドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を3回読み終わって更にアリョーシャ・カラマーゾフの人生について思いをはせながら大皿いっぱいのボルシチを平らげるくらいの時間があったに違いない。しかし実際のところ、私はボルシチなど食べたことがあっただろうか。私がボルシチと思っていたのはビーフストロガノフだったという可能性は十分に考えられる。

 ボルシチとビーフストロガノフとブラウンシチューの違いについて考えていたせいで、はじめのうちは一乗寺駅でドアが開いたことを私はうまく認識することができなかった。しかし駅に到着したということは、我々乗客が列になって移動するホロホロチョウの群れのように速やかに下車する必要があるということを意味する。私はシチリア島のパレルモ港とナポリとを結ぶ定期旅客船の船底から巨大なフジツボを引きはがすように、叡山電鉄の座席から立ち上がった。下車した私にわかったのは、叡山電鉄一乗寺駅からその書店までは徒歩3分と非常にアクセスが良いということだけだった。

 幸いなことに私は迷うことなくけいぶんしゃCOTTAGEの看板を見つけることができた。その看板を見つけたら会場に入る決心が固まると思っていたが、しかし私は扉の前でしばらく立ち止まった。もちろんその扉を開けるということは、これまで無関係であった私の生活と猫町倶楽部の読書会というふたつの空間が連結されて、私にとって圧倒的に新しい世界が広がるということを意味している。私はためしに扉の前で咳払いをしてみた。その咳払いは、焼きたてのクリームパンをのっぺりとしたコンクリートの壁に投げつけたように扉に吸い込まれた。




「少し早く着きすぎてしまったようだ。」と私はつぶやいて、扉の前から立ち去り、受付開始までの時間を併設される書店で過ごすことにした。恵文社はいわゆる「本にまつわるあれこれのセレクトショップ」で、センスのいい書籍や雑貨をあつかう書店である。もしくは本読みの聖地ともいうべきかもしれない。気がつくと私は多和田葉子の『雪の練習生』を手にとってレジに並んでいた。

 以前から欲しかった書籍を購入してしまうと、私には読書会の受付を済ませなくて良い理由がなにもなくなってしまったので会場の扉を開けることにした。受付ではふたりの女の子が穏やかな微笑みをたたえていた。左側の女の子に私が初めてこの猫町倶楽部の読書会に参加しているということを伝えると、右側に座った女の子が一枚の白紙のネーム・カードを差し出した。
「ここに名前を書いて。」とその女の子が言った。
「名前というのはつまり、僕がいままでどのような小説を読んできて、どんな女の子と寝てきたかっていうことを書けばいいんだね。つまりボブ・ディランの『メンフィス・ブルース・アゲイン』を初めて聞いたのが何歳のときであったかという類いのことを。」と私は聞き返した。
「そうなるわね。裏面に課題本シールを貼るとこれまでの参加回数なんかが分かって、他の参加者と話のきっかけができるじゃないかしら。」女の子たちははいくぶん困ったような表情を浮かべたが、すぐに私にネーム・ペンを手渡した。




 各テーブルではだいたい6人から7人くらいの参加者が、まるでフラミンゴの大群が東に向けて飛び立つのを眺めているように期待に満ちた顔で読書会の開始を待っていた。
「読書会ははじめてですか?」と赤いハンチング帽に黒いセルフレームの眼鏡をかけた男が話しかけてきた。なんだって私が初参加で、そしていささか緊張していることが分かったんだろう。
「猫町倶楽部主宰のタツヤです。」と男は自分のネーム・カードをこちらに向けて笑ったあとに握手を求めてきた。主宰者の男にうながされて着席した私は、同じテーブルの参加者と簡単な自己紹介をしながら読書会の開始を待った。



 定刻の17時になるとピンクのシャツを着たひとりの男が前に立ち、いくぶん嬉しげな口調で話し始めた。
「本日は関西文学サロン月曜会にお越しいただきありがとうございます。今月の課題本は村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』です。今日は初参加者13人を含む38人の皆さんにお集まりいただいたです。」と男が言った。男は本日のタイム・スケジュールや読書会での注意点をなにひとつ滞ることなく説明した。
他人の意見を否定しないというのが、猫町倶楽部の読書会での大切なルールです。それでは各テーブルでの読書会をスタートしてください。」



 そう言ってピンクのシャツの男が説明を終えると、テーブルの上に置いてあったお菓子、たとえばカントリーマアムやブルボン・ルマンドなんかをつまみながら和やかな雰囲気で読書会が始まった。各テーブルにはファシリテーターという司会進行役がいるようだった。肝心の読書会で何から話して良いのかわからなかった私にとって、この種の救済があることは事前に知っておくべきことだった。

 自己紹介によると、この猫町倶楽部の読書会には幅広い年齢、性別、職業の参加者が集まるようだ。私のテーブルには村上春樹が好きなので今回が初めて参加したという女の子もいれば、あまり読まないジャンルに挑戦したいので定期的に参加しているという男もいた。読書会というと課題本やその著者への忠誠を語り合う場ではないかと心配していた私にとって、どちらかと言えば苦手である村上春樹の作品を、きわめてフラットに話し合うことができる場であるということは、いささかの安定剤となった。



「結局のところ。」ひととおりの自己紹介が終わると、髪をうしろでひとつに束ねた女の子が話しだした。
「村上春樹の魅力って、文章を贅沢に重ねるという点につきるんじゃないかしら。たとえばこの比喩表現だって、この回収されないままの伏線だって、なければないで成立するものでしょう。」と彼女は続けた。
 私は自分の意見を述べたいという衝動を抑えることが難しくなり、口を開いた。
「たとえば今回の課題本は文庫で上下巻900ページの長編だけど、それらの無駄と呼ばれる部分をすべて削り取ってしまえば、D・J・サリジャーの『キャチャー・イン・ザ・ライ』くらいの厚みにすることだってできるだろう。しかしそれではこの作品の魅力はグラスの底に少しだけ残ったハイボールくらい薄くなってしまうんじゃないかな。」
 私が発言を終えると、テーブルの参加者は、乾季のセレンゲティに小さな水辺を見出したシマウマの家族のように一斉にうなずいた。



 私の後を追うように、テーブルの参加者からは活発な意見や感想がとぎれることなく提示され続けた。しかし私は他の参加者の話に耳を傾けながらも、大学に入って初めて寝た女の子のことを思い出していた。
「君には心というものがないの?」4回目のデートで鴨川河川敷の芝生に腰かけたとき、私は彼女に訊ねた。
 彼女はグレーのスウェット・パーカーを着て、白いレースのスカートを履いて芝生に座っていた。私は彼女のスカートが汚れないように私のオリーブ・グリーンのマウンテンジャケットを芝生に敷くことを提案したが、彼女はそれを断った。
「どうしてそう思うの?」と私のマウンテンジャケットの裾をつまんで彼女は目を伏せた。「およそ考えうる限り、私があなたのことを求めていないという証拠はないわ。」
それならば、私が彼女のことを求めることだって意味がないこととは言えないじゃないか。そう思ったが、私はそれを彼女に伝えることはしなかった。そのことを彼女に伝えるには、私はいささか前日の睡眠が足りていなかったのだと思う。


 気がつくと読書会は終了の時刻にとても近づいていた。本日のドレス・コードは「ピンク」という予告が事前になされていたが、各テーブルのベスト・ドレッサーが選出されると、ベスト・ドレッサーの皆さんが今日のコーディネートについてコメントを述べることとなった。
 私はくすんだピンクと言えなくもない色のハンカチを1枚持参したにすぎなかった。
「素敵なハンカチですね。」と私の右側に座った女の子が私に話しかけてきた。美人で髪の長い女の子で、ふんわりとしたピンクのニットを着こみ、耳元には金色のイアリングが揺れていた。ドレス・コードとは読書会をより楽しむための遊びであり、自由な発想を持つことさえできれば、どんな物質だってドレス・コードになりうるのかもしれない。そうして2時間に及ぶ読書会が終了した。




「2時間ですか。」と私は主催者の男に話しかけた。
「我々は2時間も今日の課題本について話していたことになる。人生の流れる早さというのは、つまり可変的であり形而上学的な概念であるということですね。」と私は主催者の男に訊ねてみた。
「皆さん、そうおっしゃいますね。初めての参加は緊張するかもしれませんが、終わってみれば話し足りないほど大いに盛り上がること間違いはありません。」
「そのようですね。」と私はうなずいた。
「ところで。」と主催者の男が切り出した。「3回続けて参加すると、仲の良い友達ができて読書会がより楽しくなりますよ。ぜひ続けて参加してみてください。」と男は自信のある口調で話を締めくくった。


 懇親会も引き続き同じ会場で行われるというアナウンスを聞いて、私はドリンク・カウンターでアサヒ・スーパードライを受け取ると、懇親会の開始を待った。

 懇親会のケータリングは京都円町にある食堂スーフルさんに、その月の課題本に登場する食べ物なんかをイメージしてご準備いただいていると説明があった。テーブルには、今日のメニューであるサンドウィッチとフランクフルトソーセージに付けあわせのザワークラウト、じゃがいものドイツ風煮込み、オニオンリング、ロールパン、チョコレートタルトとフルーツの盛り合わせ、そして滋賀県産のピーナッツを香ばしく焼いたものが並んだ。驚くべきことに調理人の彼女はドイツに滞在していたことがあるらしく、ザワークラウトやじゃがいもの煮込みなどは、現地の調理法がきわめて正確に再現されていた。乾杯の音頭によって紙コップに注がれたアサヒ・スーパードライの水面にさざなみが生じたが、それが消えると我々はしばらくのあいだ黙って料理を食べた。サンドウィッチは課題本をイメージしてハムとチーズとレタスとマヨネーズを挟んだものと、食堂スーフルさんがよく好んでつくるという明太子とポテトサラダとチーズを挟んだものと2種類が存在した。私はサンドウィッチに対してかなり厳格な評価を下す方だと思うが、そのサンドウィッチは私の定めた基準線を軽くクリアしていた。




 やがて誰からとなく最近読んだおすすめの本の話や、あるいは読書以外の趣味の話が切り出されると、懇親会は徹底的な盛り上りをみせた。驚くべきことに、懇親会の途中ではテーマ別の席替えというものが実施された。たとえば、野球、芸術、酒・グルメ、村上春樹、新しく始めたいこと、などという一見すると課題本とは関連のないテーマのホワイト・ボードが掲げられ、私は2本目のスーパードライとともに混乱を飲み干した。
「やれやれ。」課題本の話をすることだけが読書会の楽しみではない、という発見はまるで初めてキリンという動物がこの世界に実在することをこの目で確認したときのように、私を驚愕させた。実際のところ、キリンと一角獣とのどちらが空想上の生き物であり、どちらが実在の生き物であるかといったきわめて単純な事実を私はしばしば忘れることがある。これは私のおそらく重大な欠陥と言っても良いだろう。


「最後に全員で集合写真を撮りますので、みなさんこちらに並ぶです。」とピンクのシャツを着た男が再び声をかけた。参加者たちはマダガスカル島で日光浴をするワオキツネザルになったように同じ方角を向いて、笑みを浮かべた。



 私はこの読書会から帰りたくないと思った。実際のところ、私はグレーのスウェット・パーカーを着て鴨川で私のマウンテンジャケットの裾をつまんだ女の子のことについても話したかったことを思い出した。しかしそれは私自身の問題であって、話し足りないことがあるのなら、私はmixiの関西文学サロン月曜会コミュニティの「話し足りん」に書き込むことだってできる。もしくはほぼ毎月のように開催されるという課外活動コミュニティのイベントに参加することだってできるのだ。

 しかしいずれの場合にせよ、私は来月も読書会に参加するべきかもしれない。3回連続して参加すると友達もできて読書会がより楽しくなるという主宰者の言葉を信じるのも悪くないだろう。

「次回の開催は5月7日の土曜日、課題本は恵文社選書の多和田葉子『雪の練習生』です。」というアナウンスに私はかつて真夜中のパレルモ港でビーチサンダルの上を小さなカニが走りぬけたときのように驚嘆した。読書会が始まる前にここで買った本じゃないか。しかし正確に言うと、これは限りなく絶対的な啓示に似た、単なる確率論上の偶然であるのかもしれない。
第2期サポーターを募集しているですよ。」と帰りがけにピンクのシャツの男の声が聞こえた気がした。あるいは私は、次回から私自身をこの読書会のサポーターとして参加させることだってできるのだ。

 私はフラミンゴとジャガイモの煮込みとネーム・カードのことを考えながら扉を押した。私はこの猫町倶楽部の読書会で、新たな読書の楽しみ方を手に入れることができたのかもしれない。


監修:しんちゃん  記:あいこ  写真: Shige

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