猫町倶楽部とは、参加者が毎回課題図書を読了して集まり、
それぞれの気付きをアウトプットすることで学びを深め合う読書会です。
- 2017年4月8日土曜日 受付開始17:15 読書会17:45〜19:45 懇親会19:45〜21:15
- 【小説開催レポ】関西文学サロン月曜会 第26回 村上春樹「騎士団長殺し」
ぼくはシロで、君はクロだった。
クロはぼくにとって、世界でたった一人の心をひらくことができる友だちだった。
ぼくはクロを救ってあげることができなかったーーー。
4月8日土曜日。ぼくは気心の知れた仲間たちと共に、京都御所で花見をしていた。
御所の一部のエリアには「貴白(きはく)」と呼ばれる、日本では絶滅してイギリスから逆輸入したとされる白い桜が咲き乱れている。
曇空に雨がちらつく心もとない天気だったからか、幸いにも周りに人はまばらにいる程度で、ぼくたちは難なく絶好の位置に陣取った。個々が持ち寄った一品料理やお菓子や果物に舌鼓を打ちながら、たわいもない話に花を咲かせた。
「桜の花って、みんなこっちを見ながら咲いてるように見えない?」と、仲間の一人が言った。
ぼくはそれを聞いてハッとした。同じ言葉を昔、聞いたことがある。
それは小学校5年生の時に密やかに仲良くしていた、クロが最後に教えてくれたことだった。
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あれはぼくが小学校5年生の頃のことだ。ぼくはクロと初めて同じクラスになった。
クロは、生意気な猫のような目つきをした、浅黒い肌で黒檀のような髪の少年だった。まるで何代も続いて受け継がれてきたお下がりのような、くたびれた古着ばかり着ていた。それが黒色の服ばかりなもんだから、「クロ」と呼ばれていた。
クロはいつも一人だった。自分からクラスメートになじんでいこうとは決してしなかった。まるで路地裏で全身から人間に対する警戒のオーラを発している、やせっぽちの野良猫みたいな奴だった。
反面、ぼくはクラスメートとそれなりに仲良くやっていく術を身につけていた。
ぼくは母親の趣味で、パリッとアイロンのきいた白シャツと白のチノパンをよく着せられていた。周りには「いいとこのお坊ちゃんみたい」だとよくからかわれた。
クロと仲良くなるきっかけとなったのは、5月の林間学校だった(その時起こった出来事の詳細はまた今度話すことにする)。2人にはある共通点があることが発覚した。それは、簡単に周囲の人間には話せないような事柄だった。ぼくはぼくで一人で抱えて一人で頑張らなければならない”モンダイ”があり、クロも同様だった。ぼくたちは”モンダイ”を抱えていることで仲間意識が芽生え、2人で遊ぶようになった。
仲良くなってからは、放課後に”ヒミツキチ”で落ち合って、本やマンガを読んだり昨日観たテレビの話をした。それは”モンダイ”を忘れることができる、唯一の時間だった。そうして夏、秋、冬と、ぼくらは羽を休める時間を分かち合った。
クロがみんなの前から姿を消したのは、小学校6年生になる直前のことだった。
春休み、ぼくはクロと一緒に川原の桜を見に行くことになった。
「桜の花ってさ、みんな俺らの方を向いて咲いているように見えねぇ?だから俺、桜はけっこう好きなんだ」
いつもしかめつらのクロにしてはめずらしく、一瞬だけやわらかい表情をしてそう言った。
「ふうん、言われてみれば確かにそうだね。でもお前が花を好きって言うなんて、意外だな。カネにならないことは何にも興味がないって、いつも言ってるのに」
「桜は、特別なんだよ」
それはなんでもない、いつもの会話のひとつのはずだった。けれどその時の会話は、今もぼくの頭にこびりついて離れない。まるでフライパンの底で焦げついた砂糖みたいに。
その後クロは、「ちょっと家に帰って忘れ物をとってくる」と言って、そのまま世界から姿を消してしまった。
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花見が終わって仲間と別れた後、ぼくは猫町倶楽部の読書会へ足を運んだ。
毎月1回開催されている、課題本を読んでみんなで感想を語り合う集まりだ。京都では知る人ぞ知る、恵文者一乗寺店という本屋の中にあるCOTTAGEというイベントスペースで行われている。
今月の課題本は村上春樹の新作、「騎士団長殺し」だ。第1巻と第2巻合わせて約1,000ページにものぼる、長編だ。
中に入ると、案内係の鮫頭(サメヘッド)の男がうやうやしく挨拶をしてきた。
その名の通り、頭は鮫で首から下は人間の半魚男だ。黒のタキシードジャケットにツータックのスラックス、プレーンな白シャツは全てコムデギャルソンのものだそうだ。彼は質の高いものを好むのだ。
「ようこそいらっしゃいました。いつもご参加いただきありがとうございます。本日はAテーブルでございます。どうぞ心ゆくまで、お楽しみくださいませ」
「ああ、ありがとう。何だか今日はいつにも増して歯が白くピカピカだね」
「おお、さすがお目が高い!実は今朝、全ての歯が生え変わったばかりなのでございます。実に爽快な気分でございます」
「そうか、鮫はうらやましいな。虫歯になってもすぐに生え変わるんだもの。ぼくは学生時代に怠惰な時期があったお陰で、今は治療後の歯ばかりだよ」
「おや、そうなのですか。しかしあなた様の歯もツヤピカで、十分お綺麗でございますよ」
「ありがとう」
Aテーブルについて間もなく、司会者が前に出てきて大きな鈴を鳴らし、読書会の始まりを告げた。
猫町倶楽部の読書会には一つだけルールがある。
「他人の意見を否定しないこと」
これにより、安心して自分の意見を打ち明けあうことができるのだ。
Aテーブルの6人が、ファシリテーターという司会進行役に促されて、まずは順番に自己紹介をしていく。年齢も性別も職業もバラバラで、色んな人がいる。
ぼくはその内の1人の男に、既視感を覚えた。どこかで会ったことがあるような気がする。けれど、その誰かとは決定的に中身が違う・・・。
猫のような目、浅黒い肌、黒檀のような髪。そうだ、クロだ。この男はクロにそっくりなんだ。
けれどぼくの対角線上にいるその男は、くたびれた黒の古着ではなく、上質なカシミアの白のニット、中に淡いブルーのボタンダウンシャツ、ベージュのチノパンという、いかにも上品ないでたちだ。顔つきは柔らかく、穏やかな話し方をして、周囲にこまめに気を配ることができている。
全身トゲだらけの鎧をまとって周囲を威嚇し、自分のことだけを考えていたあの頃のクロとはまるで正反対だ。
男を観察しているうちに、ぼくに自己紹介の順番がまわってきた。クロに似た男は、凪の海のような目でぼくを見ている。ぼくは名前や住んでいる場所、職業や最近読んだ本などを述べて、最後に彼を試すことを言ってみた。
「今日は友人たちと花見に行ってきたんです。ぼくは桜が好きなんです。どうしてかっていうと、桜の花は、ぼくたちの方を向いて咲いているように見えるから」
「ああ、僕も同じ理由で桜が好きですよ」
ニッコリと春の太陽みたいに微笑みながら、クロに似た男は相槌を打った。
ぼくの心は戸惑いに揺れた。この男は限りなくクロのようだけれど、昔と180°人格が違っている。それに何より、ぼくをシロだとまるで認識していないみたいだ。
ぼくはもう少しばかり様子をみることにした。
「今までの村上春樹の作品の要素が随所に散りばめられていて、集大成としてまとめている」
「免色さんは完璧を望んでいて、イレギュラーなものを受け付けない。実際になんでも持ってるんだけど、持ってないものがある」
「ロジカルな人間にとっても、細部まできちんと描写されているから納得しながら読むことができる」
個々が課題本の感想を述べていく。人それぞれが違うフィルターで本の世界を見ているから、色とりどりの意見を聞くことができる。それによって新しい発見や刺激を得られる。新しい自分を見つけることもある。それがおもしろくて、ぼくは読書会に通っている。
もしかしたらぼくは、自分の中に眠っているもう一人の自分に会いたいのかもしれない。
やがてベストドレッサーの発表の時間がやってきた。
この読書会では、毎回ドレスコードの指定がある。参加者は、それに沿った服や小物を持ち寄って発表し合う。一種の大人のお遊びだ。
今回のドレスコードは「騎士と姫」。
レースがふんだんにあしらわれたアンティークのブラウスに、ティアラと魔法のステッキを持った人。騎士のキャラクターフィギュアを持ってきた人など、今回も個性豊かで愉快な発表会となった。
一区切り終えると、懇親会の始まりだ。前方のテーブルに、たくさんの料理が並んでいる。課題本や季節にちなんだ料理を、ケータリングの食堂スーフルさんに頼んでいるのだ。
さて、鮫頭の男は読書会中は何をしているかというと、扉のすぐ隣の椅子に足を揃えて座って文庫本を読んでいる。案内役は読書会中は暇なのだ。彼ははじめとおわりの、参加者の出迎えと見送りに全魂を捧げる職務なのだ。
~お品書き~
◆ハムとチーズのサンドイッチ
◆ ハムとピクルスとレタスのサンドイッチ
◆ローストビーフと紫キャベツのマリネサンドイッチ
◆ 春キャベツのロールキャベツ
◆とろとろオムレツ
◆ 春の野菜のお惣菜
オムレツは、オープンキッチンで作りたてのものが出された。口の中で卵があたたかくとろける。
村上春樹の小説によく登場するサンドイッチをほおばりながら、読書会の続きの会話に花が咲く。
ぼくはクロに似た男をチラチラ見ながら、発言する内容に耳をすませていたんだけれど、昔の欠片を感じることもなければ、ぼくがかつての友だちであることに気づく様子もまったくなかった。
やはり人違いなんだろうか?なんだかぼくばかり気を揉んでいるみたいで、損をしている気分だ。
懇親会の途中には席替えがあり、「村上春樹について語る」「映画」「グルメ」の3つのテーマにわかれて、改めて歓談が行われた。
ぼくは「映画」のテーブルに行き、最近観たSF映画の話をした。好きなジャンルの趣味が合う人がいて、お互いにおすすめの映画を紹介し合った。こんな風に新たに友人ができるのも、読書会の醍醐味のひとつだ。
クロに似た男はというと、「村上春樹について語る」テーブルで村上主義者たちと楽しそうに話している。
前に村上春樹が好きな同僚の女性に「ハルキストなんだね」と言ったら、怒られたことがある。ファンの間ではハルキストではなく、村上主義者であるというのが昨今の定説らしい。
その時ふと、クロに似た男と目が合った。彼は意味ありげに微笑んだように見えた。まるで目の中に、秘密の宝箱を隠し持っているみたいに。その瞬間の彼の目は、かつてぼくが親しくしていた、世界でたった一人の友だちの目だった。
司会者が懇親会の終わりを告げる。霞がかった夢のような時間が終わり、みんなそれぞれ現実世界へと戻っていく。
帰りがけに鮫頭の男が参加者全員に、丸みを帯びた水色の硝子のカケラのようなものを渡していく。それが現実世界へと帰り着く切符なのだ。
鮫頭の男に見送られながら、一乗寺駅へとみんなでぞろぞろと歩いていき、駅から叡山電車に乗る。すると途中でトンネルがある。そこをくぐる前に、カケラを手に握るのが帰りのルールだ。
トンネルの真っ黒な暗闇に、ダリの有名な絵のようなぐにゃりとした時計があちらこちらに現れる。その周りに、カラフルなランプがぼぅっと出てくる。手のひらに収まりそうな、透明なゼリーでできたような小人がランプに腰掛けている。時間の流れが45°ずれる。
前方に白い光が広がっていくと、もうすぐトンネルの出口だ。同時にそれは、現実世界の入口でもある。
出口に差し掛かる直前に、クロに似た男がぼくに近づいてきて、1冊の本を手渡した。唖然としているぼくをまっすぐに見据えて、彼はこう言った。
「あの時、忘れ物として取りに帰った本だよ。あれから俺はずっと別の世界にいて、今日ようやっとお前と再会できたってわけだ。もうしばらくは色んな世界を渡り歩くけど、また近いうちに会うことになるよ」
ぼくの視界は真っ白な光に覆われた。
ぼくは京阪電車に揺られている。手には1冊の本。夢だけど、現実だ。
ぼくは小学校5年生のあの頃、クロを救いたかったのかもしれない。
クラスでひとりぼっちのクロと仲良くすることで、救っている気分になっていたのかもしれない。同じ類の”モンダイ”を分かち合うことで、彼の支えになっているつもりだったのかもしれない。
でも実際に救われていたのは、ぼくの方だったと思う。
クロが消えてから、ぼくの人生はカラーからモノクロになったみたいだった。それなりに物事をこなしてそれなりに楽しんではきたけれど、肝心な何かが欠けているような気がしてならなかった。空虚さが常にまとわりついていた。
けれど今、ぼくは欠けていたパズルのピースを1つ、取り戻した。
本を開いてみると、あの時の薄桃色の桜の花びらが1枚、間に挟まっていた。
「さてさてこの開催レポートをご覧の皆様、ご機嫌うるわしゅう。ああ、申し遅れました、私鮫頭の男でございます。今回のお話はいかがでしたか?今回のシロとクロのお話、これはあくまでメタファーのほんの仮の一部にすぎないのでございます。もっと知りたいと思った方はぜひ、この先私が未来に向かって紡ぎ出す物語を、刮目してご覧くださいませ。次回の関西文学サロン月曜会は、ジョージ・オーウェルの『1984』でございます。場所はいつもと違い、oinai烏丸ですのでお気をつけください。それでは皆様、よい夢を・・・」
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称などは大体架空であり、実在のものとはあんまり関係ありません。
文章:あおい 写真:タクミ、ミク